wood-_kiri_tamapon-history.jpg(27204 byte)

たまだポンプ店は、昭和28年創業です。創業より最近まで「玉田ポンプ店」でした。
平成20年5月30日より「たまだポンプ店」と表記を変えさせていただきました。
当店は創業から68年ほどになりますが、実はその前にも歴史があったのです。

tamada-tekkou-jo-dokuritsu__ss.jpg(19868 byte)
   ↑クリックで拡大表示

この広告をご覧下さい。これ、明治42年10月発行のものだそうです。

明治42年は西暦で1909年。なんと今から110年以上前のものです。うちのお客様が古い資料をお持ちになっていて、コピーをして下さったのです。

その資料というのは当時の市内の企業がいろいろ載っているものなのですが、その中にうちのご先祖様が載っていらっしゃいました!

当時は「ポンプ店」ではなく「鐵工所」(てっこうじょ)という名前だったのです。でも、消防ポンプとあるように、ポンプは商売の中心だったようです。
※その消防ポンプの現物はこちら

今、「商売」と言いましたが、昔はポンプを「製作」していました。それで「鐵工所」だったわけです。祖父はたいへん器用な人で、「何でも自分で作ってしまった」そうです。

「独立所主」とあります。祖父はそれまでお兄さんとご兄弟で営業をされていたのですが、その頃それまで勤めていた実家の店(工場と言うべきか)から独立したのです。

tamada-tekkou-jou_s.jpg
   ↑クリックで拡大表示

祖父がそれまでいらっしゃった店(工場)がこちら・・・「鉄工所」ではなく「鉄工場」(広告にある場は昔の字か?)になっていますね。

こちらの広告の冒頭のコピーは、祖父のお兄様によるものでしょう。この一文から察すると、この資料の発行された明治42年あたりは、弟である祖父が「独立」して間もない頃だと思われます。

それにしても「玉田鉄工場」の方は情報量が多いですねえ・・・。営業品目の多さにも驚きますが、電話番号がたった三桁!一般家庭には電話のなかった時代ですね。祖父の「玉田鉄工所」の方にも多分電話は無かったのでしょう。イラストは水車でピストンポンプを動かしている・・いや、水車でなく大きなプーリーでしょうか?

このお兄様の方は、看板などの文字や絵を上手に描く才能をお持ちだったようです。このイラストも自分でお書きになったかも知れません。

何でもその昔、うちは二荒山神社に木製の消防ポンプを納めた事があるそうです。おそらく、兄弟で一緒にやっていた頃の事だと思います。 このポンプの件は今度二荒山に直接尋ねてみようと思っております。

さらに歴史を辿ればそのまた前の代は(江戸時代後期)水を流す木製のパイプを作る職人だったという記録が…

当時の「木製」パイプは、パイプとパイプをつなぐパッキンになんと「昆布」を使ったという話を先代社長から聞いたことがあります。「昆布」だと水に濡れると膨らむので具合が良かったそうです。

先代社長もその「昆布パッキン」の実物を見たかどうかは今となってはわかりません。


追記。ネット検索していたらこのような情報もありました。

以下、国会図書館への質問ページから転載させていただきますと・・・

質問
古い消防用ポンプがある。機器の情報や使われていた年代などを知りたい。
また製造者の情報が知りたい。「玉田巳之吉・宇都宮市」とプレートに描かれている。

回答
(Answer)
1 消防用ポンプについて
次の資料から機器の変遷についての記載を確認しました。
・『写真図説 日本消防史』(国書刊行会/編 国書刊行会 1984)
 「第2編 第1章 消防機器・機材の変遷 1 消防ポンプの変遷」から 、写真の機器は「腕用喞筒」(うでようしょくとう/うでようそくとう)という機器と似た形状をしていることが分かりました。
 腕用喞筒は、明治期に使用されていた消防ポンプで、「第1編 第2章 明治期の消防 3 腕用喞筒から瓦斯倫喞筒」に詳細が掲載されています。

この他、以下の資料からも消防ポンプの変遷に関する情報を確認しました。
・『消防団120年史 日本消防の今日を築き明日を拓くその歩み』(日本消防協会/編 近代消防社 2013)
・『宇都宮市消防沿革史 自治体消防発足50周年記念』(宇都宮市消防沿革史編さん委員会/編 宇都宮市消防本部 1999)
・『栃木県消防史』(栃木県消防協会/編 栃木県消防協会 1958)
・『町火消たちの近代 東京の消防史』(鈴木淳/著 吉川弘文館 1999)

2 玉田巳之吉について
次の資料から関連情報の記載を確認しました。
・『宇都宮商工人名録』(荒川清次郎/編 国書刊行会 1982)※宇都宮商工会議所(明治42年発行)の復刻
目次から「ポンプ製造業」を確認しました。宇都宮市で1件のみでした。
「玉田鐵工所 玉田巳之吉」(p.3)
・『宇都宮商工広告集』(荒川清次郎/編 国書刊行会 1982)
 「玉田鐵工場」の広告の掲載を確認しました。広告中では、「消防用喞筒各種」という表現が使用されていました。
・『宇都宮案内』(藤田日出雄、秋山錦次郎/共編 三共社出版部 1930)
 巻末の「附録 商工人名録」の「ホの部」に、「喞筒(中略)玉田巳之吉」を確認しました(p.3)

・『宇都宮市商業地図』(田口浪三/編 国書刊行会 1982)※明治40年発行の『栃木県営業便覧』の一部を復刻
玉田姓のポンプ器械製造業が掲載されていました。
「ホンプ器械製造業 玉田作次郎」(p.68)
なお、『栃木県営業便覧』の宇都宮市内の項については、『栃木県史 史料編 近現代7』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1978)にも収録があります。(p.19-36)


ここに出てくる玉田巳之吉とは私の祖父。「玉田巳之吉」製造と書いてあるからには、おそらく独立後の製造ということになるのでしょう。こちらの消防ポンプは北高根沢消防団に納品したんですね。

 

こんな更新をしました
重要なお知らせ
このサイトについてのお知らせ
  • メニューページ更新いたしました。他のページも順次更新していきます!
copyright (c) tamapon.net All right reserved.